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東京地方裁判所 平成9年(ワ)25894号 判決

原告

株式会社A

(旧商号株式会社B)

右代表者代表取締役

甲野太郎

右訴訟代理人弁護士

岩本勝彦

石川和弘

右訴訟復代理人弁護士

曽我徳章

被告

アメリカン・ライフ

インシュアランス・カンパニー

右日本における代表者

戸國靖器

右訴訟代理人弁護士

戸部秀明

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第一  請求

被告は、原告に対し、金五〇〇〇万円及びこれに対する平成九年一二月二〇日から支払済みまで年六分の割合による金員を支払え。

第二  事案の概要

本件は、原告の代表取締役であった乙川次郎(以下「次郎」という。)が、乙川三郎(以下「三郎」という。)に殺害されたとして、次郎を被保険者とする生命保険契約に基づき、保険金受取人である原告が被告に対して保険金の支払を請求した事案である。被告は、次郎の殺害当時、三郎が原告の取締役であったことなどを理由として、商法六八〇条一項二号、三号あるいは右保険契約の特約を根拠に保険金の支払を拒絶している。

一  前提事実(証拠を掲げない事実は、当事者間に争いがない。)

1  原告は、平成八年七月一日付けで、被告との間で以下の内容の生命保険契約(以下「本件契約」という。)を締結した。(甲一)

保険証券番号

第三A五二二四一四一号

保険の種類 終身保険

被保険者 次郎

死亡保険金受取人 原告

死亡保険金 五〇〇〇万円

2  保険契約には、以下の場合には被告は死亡保険金を支払わない旨の特約(以下「本件特約」という。)がある。(乙一)

① 死亡保険金受取人が故意に被保険者を死亡させたとき

② 保険契約者が故意に被保険者を死亡させたとき

3  次郎(三郎の実弟)は、平成六年一〇月二〇日から原告の代表取締役であった。(甲四の四ないし八)

4  次郎は、平成九年五月一六日、名古屋市中区栄〈番地略〉○○ビル一階通路において、三郎と共謀した丁山一郎によって、拳銃で殺害された(以下「本件事件」という。)。

5  三郎は、次郎を殺害した当時、原告(当時の商号は株式会社B)の取締役であったが、平成九年五月一八日、次郎の通夜の席で原告の役員会を開催して、原告の代表取締役に選任され、同月二九日、三郎が同月二〇日付けで原告の代表取締役に就任した旨の登記がなされた。(甲四の八、甲一六、乙一七、乙二五、乙二六、乙五七、乙六三)

6  三郎は、右殺人などの罪で、平成一〇年二月二七日、名古屋地方裁判所において懲役一五年の判決を受け、右判決は同年三月一四日に確定した。(乙五)

二  争点及び争点に関する当事者の主張

本件の争点は、原告の取締役であった三郎が被保険者である代表取締役の次郎を殺害したことが商法六八〇条一項二号、三号あるいは本件特約に定める免責事由に当たるか否かである。

1  保険契約者ないし保険金受取人である会社の取締役が被保険者である代表取締役を殺害した場合の免責の可否

(被告の主張)

法人を保険契約者兼保険金受取人とし、被保険者を法人の役員とする、いわゆる法人契約においては、法人の機関が被保険者を故殺した場合、商法六八〇条一項二号、三号あるいは本件特約により保険者は免責きれると解すべきである。なぜなら、右商法の規定あるいは本件特約の趣旨は、保険契約者ないし保険金受取人が被保険者を殺害したうえで保険金を入手することは、公益上好ましくないし、信義誠実の原則にも反し、保険の特性である保険事故の偶然性の要求にも合わないという点にあると解されるところ、この趣旨は右の場合にも妥当するからである。

(原告の主張)

法人は、その目的の範囲内においてのみ行為をなし得るものであるところ、被保険者の故殺行為は法人の目的の範囲外の行為に他ならず、法人の行為とはいえない。また、代表権のない単なる法人の取締役の行為をもって当該法人の行為ということもできない。保険契約者ないし保険金受取人である会社の取締役が被保険者である代表取締役を殺害した場合に商法六八〇条一項二号、三号あるいは本件特約の適用があるか否かについては、右規定の趣旨である公序良俗、信義誠実の原則にさかのぼって検討すべきである。このような右商法の規定あるいは本件特約の趣旨に照らせば、被告が主張するように、法人の機関が被保険者を故殺した場合に保険者が一切免責されると解するのは妥当ではなく、被保険者を故殺した行為者の動機、目的、故殺行為者の法人における地位等諸般の事情を総合的に判断し、公序良俗、信義誠実の原則の観点から、法人の機関として対外的に代表権を有する取締役等の地位にある者の被保険者故殺行為であり、かつ実質的に法人による被保険者故殺と評価できる場合であることが必要である。

2  免責の可否を左右する具体的事情

(被告の主張)

仮に、本件特約に定める免責事項を、法人の機関である取締役等の地位にある者の被保険者故殺で法人による被保険者故殺と評価できるものに限定するとの見解をとったとしても、以下に述べるように、三郎が次郎を殺害した行為は、法人である原告による被保険者故殺と評価できる。

(一) 三郎の原告における地位

三郎は、原告の創業時、次郎の殺害時、本件保険金の請求時を通じて、一貫して原告の一〇〇パーセントの株式を保有し、かつ実権を握っていた取締役であった。

(二) 原告の規模、業務内容

原告は、本件事件当時の資本金が一〇〇〇万円、従業員は一五〇名から一六〇名程度の比較的小規模の同族会社であり、法人と個人の区別が極めて曖昧であった。

(三) 三郎が次郎を殺害した目的

三郎が次郎を殺害した目的は、本件契約もしくは原告が第一生命保険相互会社と契約していた生命保険契約の存在を知って、その保険金を取得することにあったと推認できる。

仮に、三郎が本件契約の存在を知らなかったとしても、三郎の次郎殺害の目的は、次郎により奪われかけた原告の支配権を回復し、ないしは奪取されることを防止しようという点にあった。

(原告の主張)

以下に述べる事情を総合すれば、三郎の次郎殺害行為をもって、法人である原告が次郎を殺害したと評価することはできない。

(一) 三郎の原告における地位

(1) 三郎は、本件契約締結時ないし次郎の殺害時には、原告の非常勤取締役であったにすぎず、本件契約にまったく関与していない。

(2) 三郎は、次郎が原告の代表取締役に就任した平成六年一〇月二〇日以前より肝臓病を患っており、原告の経営に実質的に関与できる状態ではなかった。

(3) 原告の本社は札幌にあるところ、三郎は原告が株式会社Bとの商号になる以前から愛知県に在住しており、札幌には常駐していなかった。三郎が原告に出社するのは、ゴルフやスキーをするために札幌に遊びに来たときに立ち寄る程度であった。

(4) 三郎は原告の対外的代表権は有していなかったのであり、対外的に原告を代表し保険契約を締結できる地位になかったし、また、締結された契約を履行すべき地位にもなかった。

(5) 三郎は、次郎が原告の代表取締役に就任する際、原告の実質的な経営自体は次郎に任せている。

(6) 次郎の死亡前後には、原告の社員及び関係者は次郎が原告を実質的に経営しているオーナーであると認識していた。

(7) 三郎は、原告設立当時は多額の出資をしており、原告の大株主であったが、平成六年一月ころに既に三郎は対価として四〇〇〇万円を受け取る約束で次郎に自己が有していた原告の株式を譲渡する合意をしており、本件契約締結時も次郎殺害時も、三郎は法的にも原告の株主ではなかった。

(二) 三郎が次郎を殺害した目的

三郎が次郎を殺害した目的は、次郎に対する個人的ねたみや恨み、もしくは原告の利益を自分の思いどおりに操作し、自己の遊興費を捻出するために会社を乗っ取るという点にあり、会社の利益とは関係ない、まったくの個人的な事情に関する目的であった。

(三) 保険金詐取の意思の不存在

三郎は本件契約の締結には関与していなかったのであり、その存在もまったく知らなかった。また、本件契約の締結は、被告の代理店からの積極的な働きかけに基づきなされたものであり、原告側から働きかけたものではない。

なお、三郎は、本件事件後、原告の代表取締役として本件契約に基づき保険金を請求しているが、これは、本件契約の存在を知っていた甲野太郎が、三郎にその旨申し出てなされたものである。

(四) その他の事情

(1) 三郎を除いては、原告の役員や社員が本件事件に関与したことはない。本件事件の共犯者は、いずれも原告の社外の者である。

(2) 現在、原告は、三郎と一切の法的関係を解消しており、原告が受領する保険金についても三郎が関与できる状態にはない。

第三  当裁判所の判断

一 前提事実で認定したとおり、本件契約における保険金受取人及び保険契約者は、法人である原告であるところ、本件契約には、保険金受取人ないし保険契約者が故意に被保険者を死亡させたときには、被告は保険金の支払義務を免れるとの本件特約がある。そして、本件特約の内容は、商法六八〇条一項二号、三号と同じであり、その趣旨は、保険金受取人あるいは保険契約者が故意に被保険者を死亡させたときにまで、保険金請求を認めることは、そのこと自体が公益に反するだけでなく、保険金を取得するために被保険者の殺害を誘発せしめるおそれがある点においても公益的見地から許されないこと、偶発的な被保険者の死亡に対し保険金を支払うことを内容とする保険契約の射幸契約的性質に照らして、特に要請される信義誠実の原則に反し、また、保険の特性である保険事故の偶然性の要求にも合わないことにあると解される。

そうであるとすれば、本件のように、法人である会社が保険契約者及び保険金受取人となっている場合において、会社の取締役が被保険者である会社の代表取締役を殺害した場合に、保険者が、商法六八〇条一項二号、三号あるいは本件特約によって免責されるかどうかは、当該取締役の当該会社における地位や影響力、さらには被保険者を殺害するに至った動機あるいは経緯、殺害後の当該取締役の行動等に照らし、右免責規定の趣旨からみて当該取締役と当該会社を実質的に同一とみることができるか否かという観点から検討されるべきである。

そこで、本件において原告に保険金を支払うことが商法六八〇条一項二号、三号あるいは本件特約の趣旨に反するか否かを検討することとする。

二  争いのない事実及び証拠によって認められる事実を総合すれば、以下の事実が認められる。

1  原告設立の経緯

(一) 三郎は、昭和六〇年ころ、C産業株式会社を設立し、その後同社の商号を株式会社Cと変更したが、同社は平成五年一〇月に事実上倒産し、平成六年一月三一日に破産宣告を受けた。(乙二三、乙二四、乙三九、乙五〇、乙五九)

(二) 三郎は、株式会社Cの経営が困難となったため、同社の札幌営業所を中心に静岡県以北の営業所をとりまとめて、平成四年一月二八日付けで札幌に資本金一〇〇〇万円の株式会社B(原告の旧商号。なお、設立当初の商号は「株式会社C」であるが、以下まとめて「原告」という。)を設立した。同社の設立当初、三郎は定款上あるいは帳簿上同社の株式を五五パーセント有していることになっていたが、同社は実質的には三郎が全額出資して設立された(原告は、三郎が全額出資したものではないと主張しているが、採用し得ない。)。

原告の旧商号の「B」とは、三郎の長女の名前から取った商号である。(甲四の一ないし一一、甲六の一、甲八、甲一〇ないし一二、甲一六、甲三〇、乙一六、乙四五、乙五〇、乙五九)

(三) 原告はいわゆる同族会社である。業務内容としては人材派遣業を主に行っており、従業員は多数にのぼるが、そのうちの多くは派遣業の対象であり、実質の従業員は数十人程度であった。(甲六の一ないし六、乙一六、乙二二、原告代表者、弁論の全趣旨)

2  三郎の原告に対する支配

(一) 原告の代表取締役には、設立当初は戊海四郎が就任し、後に平成五年六月一日付けで己田五郎が就任したが、その経営は、三郎が実権を握っていた。(甲四の一、三、乙二六、乙三二、乙五九)

(二) 三郎は、平成六年ころ、肝臓病を患ったため、原告の経営を実弟の次郎に任せることとし、次郎は、平成六年一〇月二〇日付けで同社の代表取締役に就任した。(甲四の六、乙一五、乙三四、乙五九、乙六四の一)

(三) 三郎は、原告の設立当初は同社の役員に就いていなかったが、平成六年一〇月二〇日付けで同社の取締役に就任し、平成七年三月一六日付け及び平成八年二三日付けで同社の取締役をそれぞれ重任した。(甲四の四ないし八、乙一九ないし二一)

(四) 三郎は、原告に対して一切の資金提供をし、その見返りとして、毎月四〇〇万円の報酬を同社から得ていた。また、次郎に同社の経営を委ねるようになってからも、次郎の要請により、その都度数千万円の資金を原告につぎ込んでいた。(乙一五、乙三〇、乙三五、乙五一、乙六四の一)

3  次郎による三郎の排除

(一) 三郎は、原告の経営を次郎に任せた後も、同社の経営に関して次郎に指示を出し、次郎もしばらくの間はこれに従順な態度を示していた。しかし、次郎は、平成八年三月ころから次第に三郎の指図を疎ましく思うようになり、次第に三郎に対して反抗的な態度をとるようになった。(乙五一、乙五九)

(二) 取締役名誉会長となっていた三郎は、平成八年八月ころ、次郎から、相談役に退くとともに三郎の所有する原告の株式を形だけ次郎に譲渡するよう頼まれた。これに対し、三郎は、現金なら三〇〇〇万円、先日付小切手なら五〇〇〇万円出せば応ずる旨答えたところ、次郎が、形だけの譲渡にこだわったため、これを信じた三郎は、原告の名誉会長職を辞して代表権のない相談役に退くともに、その所有していた原告の株式を次郎に無償で譲渡する旨の書類に署名捺印をした。

ところが、次郎は、原告の幹部社員に右書類を示し、三郎から正式に株式の譲渡を受け、三郎が名誉会長職を退任することになったと宣言し、さらには、三郎に対しても、次郎自身が原告のオーナーであると述べるに至った。そのため、三郎は、次郎に騙されたことに気づき、激怒したが、次郎は三郎を罵る発言をして取り合わなかった。(乙一五、乙三四、乙三五、乙五一、乙五八、乙五九、乙六四の一)

(三) 三郎は、次郎に騙されて原告の株式を譲渡してしまったことに気づき、弁護士に善後策を相談したが、有効な手段がない旨の回答を受けた。そのため、三郎は、原告の実権を自分に取り戻すには次郎を殺すしかないと決心した。(乙一五、乙五一、乙五八、乙五九、乙六四の一)

4  三郎の次郎殺害と代表取締役就任

(一) 三郎は、丁山ほか一名と共謀のうえ、次郎を殺害しようと企て、平成九年五月一六日、名古屋市内において、丁山が次郎を殺害した。

(二) 三郎は、次郎の殺害直後である平成九年五月一八日、原告の役員会を開催した。三郎は、右役員会の席上、自らが原告の代表取締役に就任する旨を宣言し、原告の役員らがこれに異を唱えなかったので、同月二〇日付けで原告の代表取締役に就任した。(甲四の八、甲一六、甲三〇、乙一七、乙二五、乙二六、乙五七、乙六三)

(三) 原告の株式は、三郎が同社の代表取締役に就任した時点では次郎及びその妻である乙川花子の名義になっていたため、三郎は、代表取締役就任後、この名義を自己名義に戻すことを計画していたが、結局これは実現しなかった。(甲六の六、乙六三、乙六四の一)

(四) 三郎は、平成九年六月一一日、原告の代表取締役として、被告に対し、本件契約に基づき、生命保険金の請求をした。(甲一六、乙二)

5  三郎の原告に対する支配権喪失

(一) 三郎は、平成九年六月三〇日、次郎を殺害した殺人などの被疑事実で逮捕された。(甲三の二ないし六、乙五七、乙五八)

(二) 三郎は、平成九年六月三〇日付けで、原告の代表取締役を退任し、同社の取締役を解任された。(甲四の八)

(三) 原告は、平成一〇年九月一日、株式会社A(原告の現商号)と商号を変更した。(甲一六)

(四) 平成一〇年五月三一日の時点における原告の株主は、乙川花子、甲野太郎及び乙川六郎の三名である。(甲七)

三1  右に認定したように、原告の前身であるC産業株式会社、株式会社Cは三郎が設立し、同人が実質的な経営者として振る舞っていた会社である。そして、原告についても、三郎が実質上同社の全株式を所有していたものであって、その資金規模、業務内容、取締役の構成から見ても同社に対する三郎の影響力は極めて大きく、実質的なオーナーであったことが認められる(このことは、「B」という商号が三郎の娘の名前からとった商号であることからも窺うことができる。)。そして、三郎は、平成六年に次郎に原告の経営を委ねたものの、同社の取締役に就任し、依然として同社の全株式を有する株主としての地位を有していたうえ、同社に対して資金的な援助をするなど同社と密接な関係にあったものであり、その後、三郎が平成八年八月ころに原告の株式を次郎に譲渡するまでは、三郎と原告との従前の関係に照らしても、三郎の原告に対するオーナーとしての支配力は依然として残されていたものと評価できる。

また、三郎が次郎を殺害するに至った経緯を見ると、原告の経営を委ねられた代表取締役の次郎が、三郎の同社に対する影響力を完全に排除すべく、「形だけでもいいから」などという詐言を用いて三郎が有していた原告の株式を騙し取ったところ、これに立腹した三郎が原告の実権を取り戻すべく次郎を殺害したというものである。そして、次郎を殺害した三郎は、直ちに同社の代表取締役に就任している。このような次郎の殺害前後の事情に照らすと、三郎が次郎を殺害した行為は、たまたま原告の取締役の地位にあった三郎が原告の代表取締役の地位にあった次郎を個人的な理由により殺害したというものではなく、保険契約者兼保険金受取人である原告の経営権をめぐって同社の取締役と代表取締役が争った結果にほかならないというべきである。

2(一)  これに対し、原告は、三郎が次郎を殺害した時点では、三郎は原告の非常勤取締役であったにすぎず、経営も次郎に委ねており、原告の株式も有していなかったから、三郎は原告のオーナーとはいえなかったと主張する。

確かに、三郎が次郎を殺害した時点に限ってみれば、三郎は原告に対する影響力を失いかけていたものと見ることが可能である。しかし、右に述べたように、原告は、前身の株式会社Cから三郎がその経営権を掌握していた会社であったところ、本件は、三郎が病気を患ったことから原告の経営を委ねられた次郎が、三郎から同社の株式を詐取し、その経営権を完全に自分のものとしようとしたことが原因となって発生した確執であって、三郎が次郎を殺害した行為は、かつて原告の実権を握っていた三郎と、同人から原告の実権を奪いとろうとした次郎との、原告の経営権をめぐる確執の結果にほかならないのである。そうであるとすると、三郎が次郎を殺害した時点で原告に対する影響力を失いかけていたとしても、事態を全体として観察する限り、三郎は次郎を排除しさえすれば原告のオーナーになりうる立場にあったと評価することはできるというべきである。

(二)  また、原告は、三郎は、平成六年一月ころ、四〇〇〇万円を受け取るとの約束で原告の株式を次郎に譲渡するとの合意をしたものであって、株式を次郎に譲渡することは三郎も納得していた旨主張し、原告代表者甲野もこれにそう供述ないし陳述(甲一六、甲三一、原告代表者)をする。そして、原告は、株式の対価として原告名義で四〇〇〇万円分の小切手を三郎に交付したと主張して、小切手一覧表及び小切手帳(甲二一ないし甲二九の五一)を証拠として提出する。

しかし、三郎の捜査段階及び刑事事件の公判廷における供述には、右のような事実を裏付ける供述は一切なく、むしろ、前記認定のとおり、平成八年八月ころ、三郎が次郎に「形だけでもいいから」と言われ、無償で株式を譲渡する書類に署名捺印をした旨の供述が一貫してなされているのである(仮に、三郎が納得のうえで原告の株式を次郎に譲渡したのであれば、三郎が次郎をあえて殺害しなければならない動機が見あたらなくなってしまうことになる。)。また、原告の主張に沿う原告代表者甲野の供述ないし陳述についても、捜査段階で一切供述していなかった事実についてにわかに供述を始めたものであって不自然であるうえ、捜査段階から本件口頭弁論終結に至るまでの供述を検討すると、そこには度重なる変遷があるのであって、同人の右供述ないし陳述を採用することはできない。さらに、ほかには、原告が主張するように平成六年一月ころに三郎から次郎へ株式の譲渡がなされたと認めるに足る証拠はないし、原告が提出した右小切手一覧表及び小切手帳についても、前記認定のとおり、三郎から次郎への株式の譲渡の時期は平成八年八月ころと認められるのに対し、小切手の振出日はその相当以前のものであって、これのみでは、三郎がその所有していた原告の株式を譲渡する対価として四〇〇〇万円分の小切手を受け取ったものであると認めるには足りないうえ、次郎が譲り受けた原告の株式の代金を原告が支払うというのも不自然である。むしろ、右小切手は、三郎がその書簡(乙六四の一)で述べているように、三郎が、原告に対する貸付けの返済として同社から受け取った小切手である可能性があるというべきである。

したがって、原告の右主張は採用できない。

3 以上認定した事実によれば、本件は、実質的に原告の全株式を保有し、実質的な原告のオーナーの地位にあった三郎が、原告の代表取締役の地位にあった次郎の詐術により、原告に対する支配権を奪われそうになったため、これを回復しようとして次郎の殺害に及び、その後原告の代表取締役に就任し、いったんは原告に対する支配権を回復したうえ、原告の代表取締役として自らの名義で本件保険金の支払請求をしたというものである。このような経緯を全体として見ると、原告に被保険者次郎の死亡による保険金が支払われることを認めることは、実質的な原告のオーナーである三郎を利することにもなりかねず、公益上も妥当性を欠くと言わざるを得ないし、また、右のように被保険者を殺害しこれによって三郎が実質的に原告の支配権を回復したという事情のもとで、原告に保険金請求を認めることは、信義誠実の原則に照らしても相当とは言えないし、さらには、保険事故の偶然性の要求にも合わないというべきである。そうであるとすれば、三郎が被保険者である次郎を殺害した行為は、商法六八〇条一項二号、三号の規定あるいは本件特約の趣旨に照らして、保険契約者兼保険金受取人である原告が被保険者である次郎を殺害した行為と同一視できるというべきである。

なお、原告は、三郎には保険金取得の目的はなかったと主張し、確かに、証拠上は、三郎が保険金詐取の目的をもって次郎を殺害したこと、さらには三郎が本件契約の存在を認識していたことを認めるに足る証拠はない。しかし、この点に関しては、仮に三郎が保険契約の存在を認識していなかったとしても、本件において原告に保険金取得を認めることは、公益に反し、また信義誠実の原則あるいは保険事故の偶然性の要求にも合わないというべきであるから、この点に関する原告の主張は右の結論を左右するものではない。

第四  結論

以上によれば、商法六八〇条一項二号、三号あるいは本件特約により被告は免責されるというべきであるから、原告の請求は理由がない。

よって、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官西岡清一郎 裁判官金子修 裁判官武藤貴明)

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